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わたしの名前はルペン

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訳者注 この記事はフランスの極右政党Front National (国民戦線)の党首マリーヌ・ルペンと同じ名字を持った女性がリベラシオン紙に寄稿した文を本人の許可を取って翻訳したものである。原文はこちら

わたしはブルターニュ由来の自分の名字、ルペン Le Penが好きだ。もともとの意味の「頭」や「羽」は高貴な印象を抱かせる。ブルターニュには似た名前が多く、ペンティやペンドゥイックという名はフランスのクレープ屋によくある。みんな自分の店の主になることで自分の名前-一国一城の「頭」という意味で-にささやかなりとも忠実であろうとしているのだろうか。

しかしこの名前には敗北の刻印が押されている。この名の表すものはわたしの人格と全く一致しない。名は体を表すというがその意味では名字としてまったくの失格である。この名前はわたしが生まれるずっと前からブロンドの、ガラスの義眼をはめ眼鏡をかけたあの男の一族のもの(訳注・極右政党国民戦線の前党首ジャンマリー・ルペンのこと)として世間に記憶されてしまっている。わたしの髪の毛は黒に近い茶色で、眼鏡なぞかけたことはないというのに。わたしはユダヤ人で、あのブロンドの男よりも、彼が世界史のごく小さな一コマにすぎないと言ってのけたガス室で殺された者たちとより近しいというのに。正直いうと何回もわたしは名前を変えようとした。ルペンという名字とわたしを結ぶイコールを断ち切るために。

まだ幼かった頃、級友たちは何度わたしの父があのジャンマリーではないかと聞いてきたことだろう。中学では、先生が点呼をかけるたびに息の詰まりそうな沈黙が教室を満たした。95年、国民戦線の候補が南仏のちっぽけな街ヴィトロールでそれまでにない成功を収めた時、わたしはもう消え入りたいような気持ちだった。名字を口にするのさえはばかられた。わたしだけでなく、父、母、弟もそうだ。

2002年、あの男が大統領選の決選投票についに進んだとき、わたしは家の電話線を外した。受験真っ最中だったにもかかわらず、見知らぬ人間が朝3時に電話をかけてきて罵詈雑言を吐くのにうんざりしたからだ。

受験には無事に受かったのだが、大学の責任者は他の学生全員の前でわたしがあの一家とは全く無関係だと言った。おかげでわたしはその後4年間ずっと無関係さんと呼ばれ続けることになった。

この名のせいで、何度わたしはどこかへ消えてしまいたいと思っただろう。実際に何度も改名を考えたし、そうすれば日常の不愉快な出来事の数は劇的に減ったはずだ。しかも手続きそのものはいたって単純である。ただ名前を変えたとして、わたしはどう名乗ればいいのか?

時が経つにつれ、ルペンという名への感情はある種の諦め-ジャンマリー・ルペンは老人だがわたしは若い。あの男はいずれ死にルペンという名前についたイメージもそのうち消え去るだろう-とこの不条理への抵抗-なぜわたしは自分の名字をこの名に排外主義、暴力と憎悪の刻印を押したあの一族に譲らなければいければならないのか-がない混ざったものに変わっていった。

そして、あの女が現れた。わたしの名前に染み付いた古臭い「極右」のイメージを一掃するために。あの女の父であるブロンドの男はこのイメージの囚人となり、今そこで朽ち果てようとしている。在りし日の歌手ダリダのように振る舞うあの女に、聴衆は魅了され、喝采した。そう、あの女は、老いさばらえ化石とようになった党とその方針を時代に合わせ一新したのだ。最悪の事態が起こった。わたしの名前は平凡に、そして選挙の度に増えるフランスの極右支持者にとっては好ましいものにさえなった。

だがあの女のもたらした表層の変化の下にある本質は変わってはいない。この名にはわたしの子供時代と思春期を形作った憎悪と暴力の印が相変わらず刻まれている。

「わたしの名前はルペンです」というと、人はみな「ああそうですか」と答える。ちょっとした驚きを隠そうとしているのが見え見えだ。この名前がだんだんと平凡になっているという状況に危機感を覚えたわたしはあえてこのように強調さえする。「ルペンですよ、ル、ペ、ン。マリーヌの名字と全く同じ。まあ全く無関係ですけど。」まるで幼少時経験した不条理への復讐を試みているかのようだ。

5月7日、大統領選決選投票日。わたしは二人分投票した。連休を満喫するべくある友人が代理投票をわたしに頼んだのだ。ルペンというかつて忌み嫌われた名前が普通なものになってしまった中、浮き浮きと初夏の短いバカンスに出かけて行った友人をわたしは呪った。2017年5月7日、こちらのルペンはマクロンに投票した。もう一人のルペンは自分に入れたのだろう。

国民戦線が歴史的な投票数を記録し、国民議会選挙が迫る中、わたしは自分の名前について語るためペンを取った。ある意味ではこの名前の喪に服すため、また危険な政治家一家の名前を血が繋がっていないにもかかわらず背負って生きるのがどういうことであるか分かっている人はごく少ないように思えたからだ。この名前が今後さらに平凡なものになるなら、わたしはいつかためらいなく名乗ることができるようになるだろう。この神経症的な静けさが幼少時の罵詈雑言よりも恐ろしいだなんて、これ以上に悲しいことがあるだろうか。わたし自身はこの名への嫌悪感をまだ拭い切れないでいるというのに。

2017年5月8日 ラファエル・ルペン